「田中一村」って知ってるかい?

「田中一村」って知ってるかい?

 奄美の光と影

2024/8/16

2020年秋、故あって奄美大島を訪ねたときのことである。空港からほど近い鹿児島県奄美パークの中に「田中一村記念美術館」(ホームページは以下参照はあった。飛行機の時間まで少し余裕があったため美術館に足を踏み入れた私は少なからず驚いた。

恥ずかしながら私は田中一村画伯のお名前を存じ上げず迷い込むかのように、あまり人気のない美術館になんとなく時間調整のため立ち寄った。公園の中にひとりの画家のためにかなりの予算をかけて作られた美術館である。そして私はかの有名な代表作「アダンの木」の前に引き寄せられるように佇み、あっ!と声を上げてしまった。懐かしいような、それでいて神々しい何とも人の眼を引きつけてやまない絵である。そして三年以上の月日をかけて描かれた最後の大作「クワズイモとソテツ」の前でも私は我知らず洩れ出る吐息を抑えることができなかった。
アダンの実もソテツの木も、奄美でなくともどちらも沖縄に行けばよく目にする植物である。しかし一村画伯が描いたアダン(阿檀)ソテツ(蘇鉄)は間違いなく奄美のものなのだ。どこが違うのか?考え込んでいるうちに飛行機の時間が近づき、土産の絵葉書きすら買う間もなく空港に戻らねばならなかった。飛行機が離陸準備を始め機体の向きを変える。エンジンの音がひときわ高く鳴り小雨が降りしきる中滑走路を走りフワッと機体が浮いた瞬間、私は窓から小さくなっていく島を見下ろしてはたと独り言ちた。「光だ!」
私は美術とりわけ日本画に関しては無知無教養の輩ではあるが、絵の中で光がどこから差し込んでいるかがわかりやすい絵が好きだ。陽光の加減から晴れた日なのか曇りの日なのか、朝日なのか夕日なのか、はたまた自然光なのか人工的な明かりなのか。それを想像しながら絵を鑑賞することが楽しい。しかしながら奄美を描く一村画伯の絵は暗い。色鮮やかな色彩を用いているのにもかかわらずだ。そこで滞在中の奄美を思い出す。通りから少し入ればすぐに鬱蒼とした林に行き当たる。(役場の方にはハブに気をつけるよう散々言われた。)もしあまり陽光が届かない林の中から対象物を見ながら素描したのなら、そして色彩を計算したのなら、この「光」の具合は頷ける。
沖縄本島も奄美大島もどちらも亜熱帯性海洋気候に属するが、奄美大島は年間の日照時間が日本一短く、そのほとんどが亜熱帯照葉樹林マングローブの原生林に覆われ、海岸沿いのごく限られた地域に人が住む。沖縄に比べて大規模なリゾート開発が進まなかったのもそのためである。言い換えればそれ故に美しい海やクロウサギに代表される数多の天然記念物が今日まで守られたわけである。

さて4年近くもたってなぜ田中一村画伯を急に思い出したかというと、上野の東京都美術館にて2024年9月19日―12月1日まで「田中一村展:奄美の光、魂の絵画」が開催されるのだ。いつかもう一度奄美に飛んで今度はゆっくりと絵を鑑賞したいと思っていた矢先、奄美時代はもとより、それ以前の東京・千葉に住んでいた頃の作品もほぼ一堂に会すると聞き、胸が高鳴るのを抑えきれず記事にした次第である。
田中一村画伯と上野を無理やり結びつけるとすれば東京藝術大学にてかの東山魁夷画伯と同級生だった、ということぐらいであろうか。しかしながら一村画伯はわずか三ヶ月で芸大を中退してしまう。一度は南画中国の南宗画に由来し、これを日本的に解釈した絵画であり、江戸時代中期以降に発展をみた絵画様式で文人画ともいう。の奇才と言われたが新しい作風を批判されてからは画壇を自ら去り、放浪の末に奄美大島の現在の名瀬市に居を構える。1958年(昭和33年)50歳のときである。それから69歳で亡くなるまで奄美での創作活動を続けた。彼をして奄美に引きつけてやまなかったものは一体なんだったのか。彼の地に住んでから一村画伯はその作風をガラリと変える。彼の初めての個展が名瀬市の中央公民館で開かれるのは没後2年後の1979年(昭和54年)のことである。よもや画壇を去って98年もの歳月を経て東京都美術館にてかくも盛大に田中一村展が開かれようとは。当のご本人も想像されなかったことではなかろうか。



上掲の写真は奄美大島南西端から加計呂麻島(かけろまじま)を望んだ写真である。一村画伯は晩年知人に加計呂麻島へグラスボートで連れて行ってもらうことをとても楽しみにしていたという。しかしながらそれは叶わず1977年(昭和52年)に亡くなる。船底がガラス張りになっている船をグラスボートといい、乗りながら海の中の様子が見られる。窓から海中を眺める半潜水船型に改良されたものが登場するのは、それから十年以上も後のことである。現在は島の北東から南西端にかけて小高い山々をトンネルが貫き国道が走っている。車で二時間も走れば島を縦断できる。長く奄美に暮らせど加計呂麻島に渡ったことすらなかった画伯の事を思い、数ある思い出の写真の中からこれを選んだ次第である。
👑ねむり姫👑  
2024.8.16



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