「さて、このたび弊社ではSDGS8(持続可能な開発目標)の一環として地球温暖化・環境への配慮等の観点を鑑み、年賀状によるご挨拶を控えさせていただくことといたしました。」
長い年月取引をしている会社から上記のような文面の挨拶状が来た。なるほどと思う。昔500人規模の会社の秘書室に勤めていたことがあり、役員の年賀状の手配は毎年手間のかかる仕事であった。先方の住所・肩書きの確認やら挨拶の文言、手書きにこだわるくせに自分で書かない役員などなど、暮れの忙しい時期この仕事がなくなれば助かるのになあと若い頃は思っていた。ましてや年賀状を送ることで環境に対する配慮に欠けるなどと思われては大変だ。大事なければやめるにやぶさかではない。
私も年賀状はそろそろやめにしたいと思っていた。年とともに文字を書くのが億劫になったし字も下手になってきた。しかしながら個人的には少し寂しいような気もする。身勝手なもので年賀状を書くのは億劫だが、貰うのはやはり嬉しいものなのだ。
毎年この時期になると思い出すのは亡くなった母方の祖母のことだ。七十を過ぎた辺りから字を書こうとすると利き手が震えるようになり、何かしら文章を書かなければならない機会があると私が呼ばれて代筆をしていた。毎年12月に入り祖母の家を訪ねると、きちんと年賀状20枚と筆ペンが用意されていた。
「書くのが辛いならやめてもいいんじゃないかしら。」
私が言うと
「季節の便りが無いと親戚に死んだと思われたら困るからね。正月から電話がかかってきたりしたら面倒じゃないか。取りあえず息災でいることを知らせておかなきゃね。」
ふと窓辺に目をやると見事な葉ぶりのシャコバサボテン(クリスマスカクタス)が濃いピンクの花をいっぱいに咲かせていた。
ある年の師走、いつものように東京の下町の祖母の家を訪ねようと細い路地を歩いていると道端に何かが落ちている。近くまで寄って拾い上げるとシャコバサボテンの茎のようだった。祖母の家に着くと玄関にしょんぼりと彼女が座っている。
「どうしたの?具合でも悪いの?」
座ったまま顔を上げた祖母は、私が手に持っていたシャコバサボテンの茎を見つけて急に立ち上がった。
「お前、どこでそれを⁉」
「そこの路地に落ちていたのを拾ったの。おばあちゃんのシャコバサボテンに似てるなあと思って。」
「ちょっと、こっちへ持ってきて!」
祖母は玄関脇の空の植木鉢に土を盛ると私が持っていたシャコバサボテンの茎をそっと丁寧に挿した。
「ちょっと時期が悪いけど、きっとうまく根付くよ。」
今朝、少し日に当てようと玄関先にシャコバサボテンを出しておいて二階で洗濯物を干して降りてきたら、すでに鉢ごとなくなっていたというのだ。
「まあ、ひどい。誰がそんなことを。」
「いいさ、盗人がこぼしていった茎をちゃんとお前が拾ってくれたんだから。何も失っちゃいない。昔から花盗人は許しておやり、っていうだろ?」
次の年にはシャコバサボテンはしっかり根付き見事に咲き誇った。むしろ前の鉢より若返って元気になったようだった。
「だから言っただろ?花盗人は許しておやりってさ。」
祖母は鉢を矯めつ眇めつ自慢げに私に見せた。
去年、母が亡くなり今年は年賀状を出さなかった。私も歳を取り、祖母の億劫さがわかってきたが代筆してくれる奇特な人はいない。毎年くださる方々にご挨拶をして来年から年賀状をやめようかな、とふと思った。
👑ねむり姫👑